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これからどうする?わたしの街、暮らし「ドイツから考える鹿児島のまちづくり」レポート2

感想:中島先生のお話を聞いて  

 

 

 

以前、まちなかにおける樹木保全の大切さを話し合った際にお名前を伺ってから、いつかお話を聞きたいと思ってきたチャンス到来!印象に残ったことを少し書き出します。  

 

まず、ユーロ圏で強者に居続けているドイツが中世からの町並み保全を建物の外観維持や一階部分の個店の入店基準など細部まで念入りに設計することで利便性と観光資源としての活用のバランスを取っていることが鹿児島市のまちづくりと対照的に感じました。  環境負荷への低減で持続可能を実現しているバランスを構成する要素は、移動の利便を公共交通で確保していること・歩き回りたくなる幅の広い歩道・無論それは車イス、ベビーカー、自転車にも移動しやすい環境・自家用車交通の規制・広い意味での歩行者天国の日常化・など。  

 

 

 

1995年に札幌から鹿児島市に戻ってきた頃を今回思いだしました。本当にパチンコ屋さんがやけに多いな、なんだか多様性が少なくて退屈、その退屈の構成要素の一つは政治であり社会運動の質量にあるな、と感じて四半世紀動いてきて2020年。  

 

環境政策のトップランナーのドイツの動きは、超高齢が進み、ニーズとかみ合わなかった少子化政策を30年も相まって人口減対策にも格差縮小にもコケまくりの中で温暖化影響の低減にあえぐ私たちにたくさんの示唆を与えてくれます。少なくない数々の具体策がドイツによって明確なのに、なかなか鹿児島で実現できないのはなぜだろう。それは日々の私たちの営み、思考と言葉と行動の選択、にかかっているからではないでしょうか。

 

 

 

そう感じて本当に、動く人の数が増えないことには表層で「〇〇っぽい」ことに終始するかもしれない。何がどうなるかわからない、わからないから明るい絶望と淡い期待で動き続けるしかない、そう感じます。 他にできそうなことや、やりたいことは挙げればきりがないけれど、こうして書き出したことの実現に歩いて行くだけでも限りある命の時間は終わるだろう。 それを体感しながらの動的平衡、走りながら考えよう。つくる学校を通して、自分たちが楽しめることをこれからも!新しい市長さんにも、今回の一連の提案もしっかり心に抱き懸命に動いて頂きたいものです。

 

       つくる学校(文責・野口)